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2007/10/29Roots… episode [DESPAIR2]

☆episode 「DESPAIR2」 
「絶望2」

2つめはちゃんとした仕事につけないって事ですかね?
雪降れば撮影に出るって生活ですよ?普通に就職してたら
「明日から来なくて良いよ。」って言われちゃいますよ。(笑)

10代、20代ならまだ救いがありますよ。
でもさすがに30を過ぎると将来が不安ですね。
まあ、「なんとかなるさ!」って生きてますけど。(笑)

撮影→イベント→イベント→撮影→仕事→イベントみたいな生活ですよ。ニセコから富良野、札幌に戻って仕事してスポンサーメーカーの仕事で本州へ…ハードな生活ですよね。

撮影していても絶望の連続ですよ。
TACKとコンビを組んでからは、雑誌に出るか出ないかの分からない写真を撮ってます。
出るのが決まってて撮ってる訳では無いですから。

その分規制は無いですけどTACKのPCには「お蔵入り」してる良い写真がいっぱいありますね。

「オレが有名だったら雑誌もバンバン使ってくれるのかも?」とか「スポンサーありきの雑誌でオレの写真では使われないのかな?」とか。本当にTACKには迷惑かけてると…(笑)

日本一無名な「佐々木」の付くプロスキーヤーですからね。(笑)
スキーだけでは生活も出来ないのにプロスキーヤーなんですから。
(笑)本州に行くことも最近はめったにないですね。

メーカーの仕事以外では。撮影は北海道内でほとんどをしてますし。
大会も出ないですね。
若い世代には勝てないし、マルチスキーヤー(何でもするって事で)で活動してると一つの事を練習する時間も無いですよ。
怪我したらすべて出来なくなっちゃいますしね。生活の保障もないし。

今のスキー業界だと大会に出なければ露出が減る=成績がない=評価されない=無名。って、どんどん無名化してきますね。
使い捨ての業界ですから。オッサンは燃えないゴミですか?って。(笑)

でもオレは北海道にこだわってるし、今のスタイルも「悪くないね!」って思ってますよ。

北海道でやれる事がいっぱいあるんですよ。
北海道だからこそ出来るって事が。
去年の厳の広告の写真は道端の斜面で撮った物ですよ!

雪と斜面と創造力があればなんだって出来ちゃう所なんですよ。
北海道って。最高じゃないですか。(笑)

オレと同世代の、昔スキーしてましたって人がオレの今の活動見て「こいつバカだね~!でもさ、これだったらオレにも出来るじゃね?もう一回やってみるか!」って思ってくれたら最高ですよね。

パークでだって無理に自分をプッシュする事は無いんだよ!って。
オールドスタイルで良いでしょ!ってなったら良いなって思ってますよ。

「燻し銀」良い言葉じゃないですか。年輪のスタイルってヤツですよ!
子供には出せない色気ムンムンの。これからも燻しますよ。
灰になるまで…もう片足入ってますけどね灰の中に。(笑)

SK8やサーフィンでは当たり前のように「時代を作ってきた人」が尊敬される。
その人達が創ってきたオールドトリックを若者やオレ、オレと同世代の人が何のためらいも無く(照れないで)出来るようになったらスキー業界は変わるかも知れないですよね。

若い世代だけの物じゃないんですよ。Freeskiって。
絶望におっきな風穴開けてやりたいですね。オレ一人じゃ無理かな(笑)


つづく!

2007/10/26Roots… episode [DESPAIR1]

☆episode 「DESPAIR1」 
「絶望1」

30過ぎの人間がスキーを続けるのって絶望の連続なんですよ。(笑)
「何言ってんだよ!好きな事して生活しててしかもまだ一人もんじゃね~か!」ってよく言われます。
そういう取り方もあります。

同窓会なんかに行くと「うわぁ~良いね~。好きな事が仕事なの?
なんか素敵…」なんて昔カワイかった女性にも言われました。
今は生活感がにじみ出てるような女性に。(笑)

確かにそうなんですよね。
でも何事にも犠牲ってあるじゃないですか。その犠牲の一つがまず結婚ですね。(笑)絶対出来ませんよ!
結婚なんて。(笑)養う事が不可能ですよ。

プロになった頃に付き合い始めた彼女には・・・
「あなたには将来が見えない…」って言われてフラレましたね。
8年も付き合ってたのに。
付き合い始めた頃はオレも結構稼いでたんだけどな…(笑) 

稼ぎの多いプロスキーヤーは出来ると思うけど…無理ですね。
スキーする為とローンを払う為に仕事してるって感じですよ。
生きる為ってヤツですよ。

今、付き合ってる彼女にも申し訳ない気持ちでいっぱいですよ。
「こんなオレでごめん・・・」って。完璧な甲斐性なしですよ。(笑)
今年の広告で使ってもらったフェンスを越えて飛んでる写真、あれってオレの誕生日だったんですよ。

あの日って撮影の予定は無くって家で彼女と過ごそうって思ってたんですけどTACKから「今すぐ来て!!」って電話があって…
「すぐ行きます!」って行っちゃうんですよ。17時位に。

オレが家に帰ってきたのは日付の変わった24時過ぎでしたね。
その間ずっと待たせてて。ヒドイ男ですよ。オレ。(笑)

でも帰ってきて「ごめんね、せっかく祝ってくれようと・・・」って言ったら「よっちゃんの誕生日なんだから一番したい事出来てよかったね。良いもの撮れた?」って。年齢を重ねると涙腺ってヤツがユルくなるもんなんですね。

「ああ!今シーズン最高の写真が撮れたよ!」って言ったオレはもう泣きそうでしたよ。
嘘でもそう言わないと彼女が救われないって思って。(笑) 
結果、良い写真で広告で使って貰えたって事ですけどね。

一番理解してくれている人はいっちばん近くにいるんだな~って感じましたね。(別にノロケじゃないですからね!)
冬になると予定も決められないし、オフは一日家で体を休めたい。
オッサンですから。 

仕事なんだから仕方ない。いや、仕事なら生活が出来る収入があるはず… 絶望ですよ。
でも、本当に絶望してるのはオレじゃなくて彼女なのかもしれないですね。(笑)

つづく!

2007/10/25Roots… episode [SENDING2]

☆episode 「SENDING2」 
「発信2」

オレの思う写真・・・

SK8やインラインスケート、サーフィンのようなパッと見ただけで
「うわぁ!この写真良いね!!」
って物を撮りたかったんですよ。
スキーで。

いわゆる、今までの写真(感覚)じゃないモノ・・
俺SK8もやってたから、そういう目線なのかも知れないんですけど!
キレイな写真?より・・・伝わる写真?ってことかな。

「そんな写真を撮ってくれるカメラマンいないかな~。
いるよ!しかも身近に!」これがTACKとコンビを組んだ理由でしたね。

TACKとは10年以上の付き合いなんですよ。
昔、オーストラリアでプロのインラインスケーターを撮ってた人で今は広告の写真とか商品を撮ってるんです。
ライティング、フラッシュがすごいんですよ。

「オレは人がやってる事じゃないオレしか出来ない事を撮ってもらいたいんだよね。TACKとなら撮れる気がするんだ。
オレの写真撮ってよ!」って。

TACKは「スキーはあんまり撮った事ないけどよっちゃんの撮りたい物はオレしか撮れないと思う。
オレもよっちゃんの写真撮りたかったんだ。
だからスキー教えて。」って、1発OKでしたね。

スキー業界に巻き込んじゃったみたいですね。オレが。(笑)
厳のHPや広告で使ってる写真は全部TACKの作品ですよね。

TACKがよく言うんです。
「よっちゃん、スキーの写真をアートにしたいよね。
よっちゃんとなら出来ると思うんだ。
だからまだまだ辞めさせないよ!」って。

嬉しい反面、いつまで続けろって言うんだか。
生涯現役ですかね?(笑)

つづく!

2007/10/22Roots… episode [SENDING1]

☆episode 「SENDING1」 
「発信1」

壊死しかけたオレが自分を奮い立たせて活動して4年目くらいから急に雑誌の仕事が増えてきたんですよ。
日々の積み重ねが良かったのか、何か見えない力が動いてたのか?
どっちだったんですかね?
ライダーはただ滑ってるだけだったんで分かんないですね。(笑)

雑誌社も「何か新しい物を。」みたいな?
フリースキーは海外からの情報しかなかったんでしょうね。
手探りでしたよ。(笑)
自分が企画を立ててページをもらったりしてましたね。
○○ボースキーで何回も。雑誌社も手探りだった分オレの企画が新鮮だったのかも知れないですね。

一度良い企画で良い撮影になると欲が出て「来年はもっとスゴイ(面白い)事してやる!」ってどんどんエスカレートして…で、最終的にはやり過ぎでいきなり仕事来なくなっちゃいましたね。(笑)
馬でアプローチを引っ張ってクォーター飛んだり、街の中でレールしたりって。

今じゃ当たり前だけど本当にあの時は嫌われましたよ…。
馬は普通ではないか…(笑)
でもあの雑誌が発売されてすぐに名古屋の先輩から電話が来て「よっちゃん!!今年ナンバー1のスキーヤーだよ!馬で引っ張ってるの最高の写真でしょ!よくあんな事思いついたね!最高だよ!」って。

本心で言われたのか、バカにされたのかはわかんないけど本当に嬉しかったですよ。「オレの発信が誰かに届いたんだ!」ってね。

雑誌の仕事だと、本当に発信したい事に規制が入ってくるって事が分かって…いや、干されたんですかね?(笑)
今じゃ当たり前にやってる事も当時は出来なかったんですよね。
「これは雑誌には出せないでしょ。」ってよく言われましたよ。

オレが撮った次の年には、雑誌に似た様な写真が出てたりしてね。
あと、外国人の写真は規制無く出てたりとか。
「なんだよ!雑誌じゃ使えなんじゃないのかよ!!」って。(笑)
あ、干されてたんですね。やっぱり。(笑)

まあ、運良くなのか、ただ干されただけなのか雑誌からの企画とか取材はなくなったんで「規制の無い自分が本当にしたい事」に取り掛かって行ったんですよ。

でもオレの発想を撮ってくれるカメラマンがいなかったんですよ。
いないと言うか頼めないですよね、バカバカしいって言われそうで・・・

つづく!

2007/10/17Roots… episode [PROSKIER2]

☆episode 「PROSKIER2」 
「プロ活動2」

○ャ○ャンドゥが解散して「佐々木徳教」としての活動が始まってからの3年間は辛かったですね。
バブルってヤツの恩恵だっだんですね。年収は一気に半減してその時買った車のローンだけ残って…(笑)

その時のギャラはやっぱり泡銭で何に使ったか覚えてないんですよ。
貯金もしてなかったし。(笑)
○ャ○ャンドゥの関係者が「今後、○ャ○ャンドゥにいましたって言えば仕事に困らないから!」って言ってたんですけどまったく効力なんてなかったですね。業界もパワーなくなっていってたし・・

ちょこちょこは雑誌の仕事が来てましたけどその時も、「うちの雑誌に載れるんだからギャラは無いよ!スキーヤーとして成功と一緒なんだから#$%&%&#%」なんて言われたり。

宿泊も交通費も自腹…  まあ、まったく変わらなかったんですけどね。その雑誌に出たところで。(笑) 

「楽しんでやろう、オレは俺だから 」そういう気持ちでいれるのって気持ちに余裕が有るからなんですね。

心ない発言、自分に余裕も無い、自分の存在の意味は?ってどんどん腐って行きましたね。完全に足元が壊死してましたよ。(笑)
「やったって無駄だろ?もう良いよ…」その頃のオレの口癖です。
ここまで来ると全身壊死状態ですよね。本当に。 
スキー業界自体に腹立ってましたね。

「なんでオレを分かってくれないんだ!なんでなんだ!」そんな気持ちでいっぱいでしたよ。この時も驕ってましたね。
たいしたスキーヤーでも無いのに。(笑)

そんな中でもオレを分かってくれる人達がいて、オレを壊死状態から救ってくれたんですよ。
BUMPSのマコさんやアキラ君、厳ファクトリーの辻さん、そしてスキーヤーの仲間、カメラマンのTACK、本当に感謝しましたね。

中でも同じ厳ライダーの先輩、大野さん(JOCKS)には本当に救ってもらいましたね。BUMPS所属プロライダーのオレを川場のイベントに呼んでくれたりって。嬉しかったな(笑)。

今でも腐りそうになった時に大野さんがオレに言っくれた言葉を思い出すんですよ。

「よっちゃん、実るほど頭を垂れる稲穂かな。だよ!実ってるんだ
から頭を下げなきゃ!偉そうにしてたらただの嫌なヤツだよ!」って。
この言葉で今まで持ってた不満が一気に落ちましたね。
「うゎ~、オレ、文句ばっかり言って何にもしてないや。」って(笑)。

「オレの発信する事は万人に受信されなくたって良いんだ。受信してくれる人は絶対いるはず。そんな人達にオレは送信し続けよう!!
きっと何かが変わるはず。」

こう思った時からみんながやらない事への気持ちが大きくなっていったんです。この時からTACK(カメラマン)とのタッグが始まったんですね。


つづく!

2007/10/16Roots… episode [PROSKIER1]

☆episode 「PROSKIER1」 
「プロ活動1」

ちょうど厳のブーツを履き始めた頃でしたね。
モーグル選手だったオレに一本の電話が着たんです。

「テレビに出ない?深夜(早朝)なんだけど全国放送でやってる番組なんだ。ギャラも良いし!まずはニュージーランドで撮影だよ!」

飛びつきましたね!「マジ!行きます!」って。内容もろくに知らなかったのにパスポート持って(笑)
○ャ○ャンドゥってヤツですよ。その中でのオレの名前はJBゲ○ッパ・・・苦笑いですよ(笑)

完全にギャラのためにプライドを捨ててましたね。その時は。
モコモコのウェアー着ておどけて滑ったり、踊ってみたり・・・
カッコ付けてるのばかりがプロじゃないんだって分かりました。
無理な演出通りに滑ったりって本当に心が折れそうでしたよ。(笑)

年に一回、苗場で○ャ○ャンドゥのキャンプがあって何十人も参加者がいるんです。
その中にはオレ=JBゲ○ッパとまったく同じ格好の人が何人もいて…衝撃ですよ。

オレはギャラの為って割り切ってやっていたのにその人達にはオレ=JBゲ○ッパはヒーローのように写ってたんですね。

音を立てて崩れるって言うけど本当ですね。
今まで感じたことの無い衝撃ですよ。
で、自分が恥ずかしくなりましたね。オレは何を見て何のためにスキーしてきたんだろ?って。
順位だったり、タイムだったり。ポイントはどれ位?ギャラはどれ位? 
そんな事ばっかり考えてスキーしてきたんだって…

キャンプの参加者は転んで雪まみれになってても満面の笑顔で滑ってくる。じゃあオレは?小さい事ばっかり考えて・・・
子供の頃の「楽しむ」って事を完全に忘れてましたね。
完全に驕ってましたね。バカですよ。

たぶん、この日が今のオレに生まれ変わった瞬間です。
「どんな時でも、どんな条件でも今を楽しんでやろう!きっとオレにしか出来ない事があるはず。オレは俺なんだから。カッコ良いか悪いかは自分が決めてやる!!」って。(笑)

良きにつけ悪きにつけ、いろいろとあったけど・・・
こんな世界もあるんだって、今じゃ考えられない・・(笑)
良い経験だったと思います!
何事も、経験ですから・・・


つづく!

2007/10/15Roots… episode [MOGUL2]

☆episode 「MOGUL2」
「モーグルとの出会い2」

夕張の大会はその時の有名人がいっぱい出てたんですよ。
公認大会で上位をしめてるような(笑)。
案の定オレは3~4回戦目で負けて友達に愚痴ってたんです。
「公認大会で優勝とかするような人がこんな大会出たらズルいでしょ!テレビに出てる人もいるじゃんね!ズルいよ!」って。

そんな愚痴言ってたらゴールエリアの端からモジャモジャ頭でモコモコのウェアー着た人がこっちに歩いてくるんですよ(笑)。
オレは友達に「うわぁ~!ラモスだよ!山にラモスいるよ!
怖ぇ~、絶対目合わすなよ!」って(笑)。

そのラモスみたいな人がオレの目の前で止まったんですよ(笑)!
「うっわぁ~…文句言ってるの聞こえたんだ…殺されるかも…」って本気で思いましたよ(笑)。
そのラモスみたいな人がオレに話しかけきたんです。「佐々木君だよね?」って。「へ?そうですけど…」かなりビビッてましたよ、オレ(笑)。

「佐々木君、うちのチームに入らない?今度店に遊びにおいでよ!」
BUMPSの社長、石川睦さんですよ。フロムAのウェアー着た。
公認大会の時から見てくれてたらしくって、「こいつはスタイルあるな!うちにスカウトしよう!」って決めてたらしんですよ。
・・・嬉しかったですね。

その後の大会でも声かけてもらってて。「店に行ってみようかな?
来年は高校生じゃないからどっかで選手登録しないとダメだしな。」
って思って店に行ったんです。

それがBUMPSとの出会いであり、マコさんとの出会いであり、アキラ君や当時店にいたトシさん(現在はジンギスカンしろくま店主)との出会いですね。

その時「来シーズンはスポンサーもつけてあげるからさ!」って。
もし、高校卒業してスキーしてなかったら?友達の誘いに乗ってモーグルの大会出てなかったら?店遊びに行くのはいいや…って思ってたら?今のオレはいなかったんですね。

「幸運って自分で掴む物なんだな。偶然じゃなくって必然にそうなる事があるんだ。自分ががんばってれば…」と思った若き日のオレでしたね。うん、良い事言って閉めましたね。
オレ。(笑)


つづく!

2007/10/09Roots… episode [MOGUL1]

☆episode 「MOGUL1」
「モーグルとの出会い1」

アルペン競技やってた時ってまったくの無名でしたね。たいした成績もなかったし。あ~、今も一緒ですね。たいした成績が無いのって(笑)。
高校4年間(定時制だったので)でインターハイ北海道予選の成績は学校のスキー部(全日制も含めて)では一番だったんで学校から遠征費が出てたくらいで。

本当にパっとしない感じでしたよ。良くて15番、悪くて50番とか…仕事して(定時制だから)トレーニングして。
夏に貯めたお金は全部使っちゃう感じでしたね。
学校のみんなは仕事で稼いだお金で車買ったり彼女に高っかいプレゼントとかしてて。正直羨ましかったですよ。でもそんな余裕なんて一切なくって。

「高校卒業したらスキーは辞めようかな?」って本気で思ってました。
普通に仕事して年に4~5回スキーとかすれば良いかな?って。
そんな気持ちでいたら中学の時の友達が「ワックス塗ってくれ。
オレ今スキー真剣にやってるんだ!」って家に来たんですよ。

真剣ってなんだ?って思ってそいつに「何してんの?スキーって?
アルペン?基礎?」って聞いたら「アルペン?基礎?バ~カ、モーグルだよ!モーグル!」って言ったんです。

「大学生の大会があるから出てみないか?お前できるでしょ?
大学生だって言ってエントリーしろよ!」って。
オレ、その時モーグルって良く知らなくて「あぁ~、フラワーロックみたいに滑って、大また開きで飛んでるヤツか~。じゃあシャレで出てみるか!」 これが始めてのモーグルですね。

大会出て2回戦っだったか3回戦で負けたんです。デュアルで。
スピードでは負けてなかったのに。まあ、ターンなんて一切してませんでしたけど。(笑)
でも、悔しかったですね。スキー操作も出来てないような大学生に負けたんですから。本当に悔しかったな。で、次の年から本格的に始めたんです。モーグルを。

見よう見まねで練習して北海道の公認大会に出て13番。その年タケはデビュー戦で1位でしたね。この時はまだ友達では無かったですけど。
なんだか分からないうちに北海道強化選手になって…運が良かったんでしょうね。オレって。(笑)

草レースもいろいろ出てて。忘れもしない夕張の草レースですよ。
スキー人生の2ndステージが始まったのが。

つづく!

2007/10/06Roots… episode [KIDS2]

☆episode 「KIDS2」
「子供の頃のスキー」

うまれた時からアトピー性皮膚炎だったらしいんですよ。
子供の時は苦労しましたね。肌を出すのが嫌だった・・・子供って残酷じゃないですか。
「手ガサガサだね」とか「うわぁ!ウツる」とか言われましたよ
(笑)アトピー性皮膚炎って今みたいに認知されて無かったですし。
心はいつも傷ついてましたよ(笑)。それを見透かされないように明るくて活発な子供を演じてましたね。両親にも心配かけたくなかったんでしょうね。特に母親には。

でも、唯一オレがオレ自身を表現できたのがスキーだったんじゃないかな。心の支えですよ。「オレにはスキーがある!バカにするならばかにしろ!」って。可愛くないですよね。
でも本当にスキーが無かったらオレは曲がっていったのかもしれないですね(笑)。
子供のオレが「オレならどこでも滑れる!」って自信(驕り)が一生忘れない事件を引き起こしたんですよ。

あの写真の後、気分良く滑り降りてったんです。「みんな滑ってくるでしょ。」って。何分待っても誰も降りてこないです。だんだん不安になってきて気分良く滑ってきた斜面を上がりだしたんです。
「なんで降りてこないんだろう?」って。多分30分位上ったと思うんです。子供の足で30分って結構ハードですよね。

やっと上った所には誰もいないんです。不安どころか恐怖でパニックですよ(笑)。遭難だ・・・って。パニックになったオレはスキーの跡を追って滑り出しちゃったんですよ。
多分みんなの跡だって思って。バカですよね。その跡はぜんぜん知らない人の跡だったみたいで滑っても滑っても追いつかない。当たり前。ぜんぜん知らない人の跡ですもん。
気が付いた時には上ってきた時に見た景色とはまったく違う場所。
オレは沢を4本くらい間違って滑ってたみたいなんです。この時はもう完全なパニック。

声が出なくなるくらいまで叫んでましたよ。こういう時に出る言葉って「おかあさ~ん!!」なんですね。今でもはっきり覚えてますよ。「おかあさ~ん!!おかあさ~ん!!」って。チョッと笑えるな。
叫んでるうちに何故か沢を横切るように上り始めたんです。沢一つ上っては「おかあさ~ん!!」もう一つ上って「おかあさ~ん!!」って。3っつ、4っつって上ってる間にもう回りは薄暗くなってきてて。
怖かったですよ。このまま遭難して死んでしまうのかもしれないって本気で思いましたからね。

4っつめを上りきった時に運良くスノーモービルが見えたんでよ。
「あそこまで行って降りれば何とかなるかもしれない…」。そっからはダッシュでしたね。
はぐれてから多分4時間くらい。生きようって心は体を動かすんですね。もう必死。やっとたどり着いてスノーモービルの跡を下っていくと…駐車場でした。

そこには親父、パニックになってる母親、心配してる仲間と兄貴がいました。やっとの思いで付いたオレを抱きしめてくれるって思ったら…速攻パンチでしたね(笑)。親父の。
「山なめるなっていっただろうが!」って。何回も何回も。

その後聞いたんですが、オレが滑り降りていったのでみんなで追いかけたらしいんです。オレが上った時にすれ違いになって迷子になったみたいですね。
駐車場で捜索届けを出す一歩手前でオレが降りてきたみたいで…。

本当に運が良かったですよ。あの時、沢を横切って上ってなかったら?スノーモービルを見なかったら?オレは今いなかったかも知れないですよね。
山は本当に怖いですよ。手付かずの山だって、スキー場だって一緒じゃないですかね。「山をなめるな!」あの時の親父の言葉は頭から離れないです。

オレ?いまだに山に入ると臆病ですよ。一人では絶対に入らないし、チョッとでも「なんかイヤだな…」って思ったらすぐ引き返しちゃいますよ。それくらいで良いと思うんですよね。
自然に「ノリ」は通用しないですからね。

つづく!

2007/10/03Roots… episode [KIDS1]

☆episode 「KIDS1」
「子供の頃のスキー」

小さい頃ってリフトの有るスキー場にあんまり行った事なかったんですよ。 定山渓にあるリフトもない三笠山スキー場って言うただのスロープみたいな(笑)ただの坂ですよ。
そこで上っては滑ってまた上っては滑って・・・って。

そんなスキー場だったから雪が積もってればパウダーを滑って、練習するために自分で踏み固めて・・・過酷でしたよ。
自分が遊ぶための工夫を小さい時から考えてましたね。
「どうやったらラクに上れるかな?」とか「ここでこうやって遊んでみよ~」とかね。

1ヶ月に一回位かな。リフトが有るスキー場に行ったのなんて。楽しかったですよ~。リフトで上って圧雪されてる斜面を滑れるんですもんね。
あ、貧乏だった訳ではないですよ!ラクして滑れると思うな!って意味だったらいしですよ。最近知ったんですけどね。

ゴールデンウィークには毎年必ず登山スキーに行ってたんですよ。
無意根山って山。本当に山! 親父とお袋、親父の仲間。オレと兄貴。総勢10人くらいで。

ドキドキしましたよ。「山登ってスキー・・・ここはスキー場じゃないんだ。遭難したら死んでしまうかも・・・」って。
コースを仕切るロープも無いしどこ滑ったって誰にも怒られない。
これが山スキーなんだ~って思いましたね。

親父はスキーもそうだけど写真も趣味で毎年上手くなってるか写真を撮ってくれてたんですよ。
「オレに向って滑って来い!」とか「そこの雪庇飛んでみろ!」とかね。昔から撮影してたんですね。

今と違うのはどんなところも怖かった・・・(笑)はじめて滑る斜面、はじめて飛ぶ雪庇。コンディションが同じところが無いんですよ。
でも、カメラを構えてる親父が「転ばないでよく滑ってきたな!」
「よ~し!よく飛んだ!」って言われるのが本当に嬉しかったのを覚えてます。「オレ、上手くなったでしょ~!」ってアピールしてたんでしょうね。

その時の写真が・・・。(FREESTYLE SKI MGのGEN広告に掲載)
今と何にも変わってないですよね。
やってる事が。この時のまま大人になっちゃった!って感じですよ。

この写真の後に山の恐ろしさを知るなんて思ってもみなかった。本当に怖くて孤独だった。絶対に忘れられない出来事ですよ・・・

つづく!